月惑星研究会について | |||||||||||||||||||||
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月惑星研究会
月惑星研究会について (月惑星研究会編 惑星ガイドブック掲載)1959年9月、4人の高校生の文通がきっかけで月面惑星研究会として誕生した。当時会員は約10名、ほとんどが口径10cm以下の自作望遠鏡で月面観測に没頭し、1961年までに500余枚という膨大なスケッチを得た。しかしそのころから対象は木星を中心とした惑星観測へと移り、そのまま今日まで続いている。 会誌はガリ版刷りの「The Moon and Planets」を毎月または隔月で発行したが、図、写真を使って観測情報を満載した素晴らしいものであった。しかし年月とともにこの刊行が一部の人の負担となり、しかも中心メンバーが相次いで就職したこともあって観測量が減少しはじめ、会の活動は急速に衰退していった。1965年のことである。 1967年4月3日、会の創設当時から当会の運営を担当し、衰退した後も一人で熱心に会を支えてきた城谷正紀(じょうやまさのり、当時千葉県立国府台高校教論26歳)は、柳下君、石井君の2名の生徒と共に浅間山登山中、折からの天候急変のため遭難された。以後、旧メンバーが会の再興を誓って、会が再び始動したのである。 以後1970年代中盤にかけて、国内の木星観測は隆盛をみたが、この期間における当会の観測レベルの進歩は著しいものがあった。しかし前回の教訓にもとづいて、会の活動を意図的に月1回の例会や、年1回の合宿にしぼったのである。それだけに例会における会員諸氏の観測結果の発表や討論は熱の入った充実したものであり、それが多くの観測家を育ててきたのだと思っている。 この時期におけるもう一つの大きな出来ごとは、大阪支部が誕生したことだろう。関西地区に惑星や月の観測者グループの結成を計画していた安達 誠(京都市)は、同じような会を沢山創るよりはなるべくまとめた方が良いのではないかと考え、当会の大阪支部を設立したのである。特筆すべきは、国内では久しく途絶えていた組織的な月面観測が、小松 茂の強力な指導のもとに開始され、月面課として活動を続けていることである。 私が会とともに歩んできた20年余の間に、数多くの天文同好会が生まれ、知らぬうちに消えていった。本会も消滅の危機に何回か直面しているが、城谷氏から教えられた「誰かがその火を消さないように守り続けていれば、いつか再び大きく明るく燃え上がらせることができる」という確信を持って続けてきた。一部の人に無理な負担をかけないこと、それに観測が盛んに行われている限り、その会は間違いなく存続することができ、多くの優れた観測者を輩出するだろう。当会もこのペースで続けていくつもりである。 平林 勇 1980年10月記
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関西支部
関西支部 沿革1974年4月20日に初例会を、大阪市立電気科学館の集会室を借りて行いました。出席者は、佐伯/松本/小松/荒川/熊森/畑山/村口/北村/小柴/安達の10名でした。その6月には、伊賀さんも入会されています。 当時は、大阪を中心に集まることにしており、名称を「月面惑星研究会大阪支部」としての発足でした。惑星を観測しているものもおり、また、月面を中心に観測してい人もいて、当初より月面課を設置し、小松さんが課をまとめてくださっていました。当初の会員で、注目されるのは火星で有名な佐伯恒夫先生も会員でした。また、大沢斑点で有名な大沢氏も会員でした。2003年現在の会員では、他に、林さん/荒川さん/畑中さんらが当時からの会員で活躍されています。
最初は毎月例会を行ってきましたが、電気科学館の部屋が定例で確保できなくなり、京都の喫茶店を会場に開催することになりました。例会はだんだん定例で開くことが難しくなり、通信が主体の会へと変化していきました。また、月面課は、合宿を開き、「LUNA」という機関誌を発行しました。この時から、月面課だけに参加する方が出てこられ、支部とはいうものの全国組織の独自の、活発な活動を展開しました。 当時国内では、東亜天文学会の観測研究課のセクションが、アマチュアとしては唯一の団体でした。火星は、関西方面に観測者が集中していました。佐伯/宮本/田阪/松本/岩崎氏らです。しかしながら、当時大学生や高校生達の集まりに対して指導をいただける状態ではありませんでした。月面は、神戸に福井氏がおられました。月面に関心を抱いていた人たちから、復活を求められておられましたが、お仕事が忙しく「あなた方でやってほしい。」と、頼まれて、月面課の活動へと移りました。 1970年、宮本先生と交流のあった安達は、個人的には火星に興味の主体がありましたが、木星観測にも手をつけ、1971年に会長の平林氏に指導を乞いました。そこで、現本部の中心的に活躍されている方々を紹介して頂き、早速東京に出向き、交流を深めました。 このときに、同じような年齢層のメンバーで高まりあうことの大切さを学びました。また、活発に活動している大学天文連盟のメンバーの方々にもお目にかかり、すばらしいパワーを見せつけられました。是非とも、関西でもこういった会(月惑星研究会)ができないかと考え、私が声をかけることにしたのです。 このころ、東北地方には東北惑星研究会があり、活発な活動をしていました。私は同じような会を国内にいくつも作るのはマイナスにしかならないと考え、月惑星研究会の支部を立ち上げることを考えました。そして、本部との有機的なつながりをもたせたいとも考えました。 従って、ここに及んで、大阪支部を立ち上げることにしたのです。平林氏からはスケッチの観測について懇切丁寧な指導を受けました。近内(堀口)氏からは村山先生や海老沢先生を紹介して頂きました。初期の頃は、いろいろお尋ねし、いろんな勉強をさせて頂きました。また、佐藤健氏にもたくさん助けて頂き、それらが支部の活動に還元されていきました。 このころになると、支部のメンバーの中から、浅田正氏のように、宇宙物理を専攻し、プロの道に入る人も出てきました。 大阪支部はその後、私が仕事を持つようになってから、十分なメンテナンスができなくなり、いつしか消えていきました。一方、月面課は小松氏から大口氏にバトンタッチされ、活動を継続していました。通信「LUNA?最終116号、1993年11月13日にまで及びます。 月面課は、支部の中でもある意味花形でした。アリスタルコスプログラムを企画し、アリスタルコスの発光現象が本当にあるのかどうか。また、月面にしばしば報告されている異常発光現象は実在するのかを監視活動するなどを中心に研究し、星の手帳に発表しました。また、成果はアマチュア天文研究発表大会で、白尾氏によって発表され、奨励賞を頂きました。 しかし、このプログラムの発表を境に、次の計画を立ち上げることができなくなりました。というには、地上からのアマチュアの観測では、月面の研究活動対象は全くないという状況に陥ったからです。現在は、夜の側に落ちた流星による爆発発光現象の監視活動が取りざたされていますが、それ以外にはこれと言った成果の期待できるものが見当たらないのです。 月面課は、毎年のように合宿を開き、このことについて、一晩中検討を続けました。また、広く外からの意見も求めましたが、結局のところ何も見つけられず、「LUNA」に書く記事がなくなり、とうとう休止になってしまいました。 その後、安達がなんとか復活できないものかと、いろいろ動きましたが、まとめることができずに今日にいたっています。
月惑星研究会の歴史は、惑星と言うよりは1950年代の月面の観測から始まります。安達の自宅には会長宅から当時の貴重な月面観測記録やレポートを全部預かり、保管しています。HPができれば掲載していく予定ですが、非常に活発な活動記録が残っています。本当は、関西支部の活動記録ではありませんが,本部のHPに出すには、量が莫大で、会長からも支部のHPに出すことで了承して頂いています。また、月面課の協同観測や、個人研究で出た冊子の紹介など、たくさんの内容が保管されています。 安達が立ち上げた支部は、このような経過のもとで、消えていきましたが、このまま放置しては、そのことを「惑星ガイドブック」や「アマチュア天文史」に記録されていることに恥ずかしい。なんとしても復帰をし、この流れを育て、外国に負けない会にしたいと、関西支部という名前で復帰を果たしました。 支部の字のごとく、当初は関西支部ですから、メンバーは関西方面を中心に活動しようとしていました。もちろんこのようにインターネットが普及する前ですから、こんな事態を全く予想していませんでした。関西地区中心に集まり、例会を季間で行い、集まれる範囲でやっていこうとしていました。現状では関西支部は名前だけで、月面課と同じように、会員は日本中にいます。 本部とは住み分けができており、大きな問題はありません。本部の方でも会費を払って支部に入って頂いている方もおられます。ただ、将来的にはこのままでよいかどうかは問題があります。いっそのこと1本化する方が良いのじゃないかと言う声を良く聞くようになってきました。また、HPも同じです。これについてはこれからの問題だと考えます。 現在の支部の活動は、こう言った支部の過去の歴史の上に成り立っています。大阪支部時代に栗栖/熊森/浅田の各氏が撮影された記録などもたくさんあります。こう言ったものがみなさんの協力で、日の目を見るのを待っています。 支部の活動が、温故知新でいくことを願わずにはいられません。みなさんあっての支部の活動です。今後とも宜しくお願い申し上げます。 安達 誠 2004年2月1日記 | |||||||||||||||||||||
月惑星研究会Webサーバ統合にあたって(2008年)会長 平林 勇当会は1959年9月に月や惑星の観測が好きな4名の高校生が設立、2009年に創立50周年を迎えます。1974年に安達 誠氏が中心になって関西支部(当時は大阪支部)を設立、ひとつの組織として活発に活動してきております。毎年の木星会議開催や出版物への執筆など共に協力連携して今日に至っています。長期にわたり存続し成果を挙げてこられたのは、世代を超えて会員が活動を引き継ぎ、継続に努力してきた結果だと考えております。 当会の目的のひとつは、同好の仲間が集い切磋琢磨できる場を提供し、その成果を広く発信し残していくことです。今後もベテランから初心者まで誰でも気軽に参加できる会として活動していきたいと考えています。多くの皆様方のご参加をお待ちしております。 このたび本部、関西支部で別々に運営してきたホームページを関西支部のものに統一して運営していくことに致しました。既に世界に認められる惑星観測情報発信の貴重な場としてその価値を高めている同HPですが、今後も世界中から貴重な情報が寄せられるよう運営していきたいと考えています。 2008年2月1日 関西支部支部長 安達 誠支部の活動は、本来は地域中心型ですが、関西支部は惑星や月面の撮影をされる会員が多く、機材等情報交流の現状から、いつしか支部とは言いながらも全国的な広がりとなっています。とはいえ、交流の舞台は支部例会が中心となり、メーリングリストに随時情報を流す活動を続けています。また、HPをつくられた伊賀 祐一氏やHPを現在の状態に育ててくださった池村 俊彦氏の尽力で現在まで活発な活動を維持することができています。 支部に登録された会員で、本部の例会に出席されている会員もあります。また、転勤などで居所が一時的に移動したときにも、本部例会での会員交流が行われ、本部と支部の有機的なつながりも生まれています。 このたび、HPが統合され「月惑星研究会」として一本化されたことにより、観測報告・研究活動・レポートの掲載、さらに過去の情報収集など、ますます発展していくことでしょう。これからの、皆さんの活躍を期待しております。 2008年2月1日 | |||||||||||||||||||||
月惑星研究会創立40周年記念パーティ(1999年)1959年9月5日に設立の月惑星研究会(会長:平林 勇)は、本年で40周年を迎えることができました。本会のOBで国立天文台ハワイ観測所所長 海部宣男先生に記念講演をお願いしました。(東京本部:長谷川 均)
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