1994年7月、当時私は山形大学大学院の1年生でした。 小学校3年の頃から天文に興味を持っていましたが、あくまでも観測ではなく、観望という状態が続いていました。
この年は春先から、前年春に発見されたシューメーカー・レビー第9彗星(SL9)が木星に衝突すると、話題になっていました。 私が所属していた東北惑星研究会で、鈴木徳実さんから木星を普段から見ておくようにと勧められ、木星のスケッチを少しずつ始めました。
衝突イベントは、7月17日のA核の衝突から始まりましたが、19日までは悪天候などでペケ。 しかし、衝突が始まって4日目の20日、この日は黒い大きな斑点が3つ見えました。 衛星の配置などから、影を落とす位置ではないことを確認しました。 これは間違いなく彗星の衝突によってできた模様であるということがわかり、夢中でスケッチを取りました。
一連の衝突は22日のW核を最後に終了しました。 マスコミが騒いでいたのも、この日まででした。 当初、私は衝突期間だけ木星を観測する予定を立てていましたが、予想外の衝突痕の出現にそれどころではありません。 特に用事がない限り、研究室を早めに抜け出して、来る日も来る日も木星を眺めて、この斑点がどうなるのかスケッチを取って、追跡しようと思いました。 衝突痕は翌年の春には見えなくなったものの、木星面全体に興味を持って、模様の変化を追跡していこうと思いました。
SL9の衝突は、私の天文史の中で観望から観測への転機となるきっかけになった大きな出来事でした。
![]() |
[図1] 7月20日の衝突痕のスケッチ |
1994年7月20日10時24分UT 筆者観測。3つ並ぶ衝突痕は、左からK、L、G核痕。 |
|