天文ガイド 惑星サロン2003年3月号 (No.6)平林 勇

私の思い出の木星スケッチ
木星観測を始めて44年になる。最初は1958年のシーズンであった。1956年頃より単レンズを2cmに絞った望遠鏡で月面を見ていたが、中学3年の時に10cm反射鏡セットを購入し、ブリキ板と木のセルで自作した望遠鏡で月や惑星を夢中になって観測し始めた頃である。

当時東亜天文学会木星・土星課長の佐藤 健さんが「天文と気象」や「天界」に執筆されていた木星観測の記事や大沢俊彦さんのスケッチを見て木星に夢中になり、観測仲間(1959年9月設立の月惑星研究会メンバー)の城谷正紀君(1967年に他界)と連絡を取りつつ本格的に木星を観測し始めたのが1961年である。既に南赤道縞(SEB)は淡化し大赤斑が小口径でも鮮やかに赤く濃く、淡いSEBが短期間に劇的に復活し、代わって顕著だった大赤斑が淡化する南赤道縞撹乱(かくらん)の発生が予測された。

翌1962年には木星熱が高じて撹乱発生を夢にまで見るようになり、連夜観測の最中でも電話で城谷君と連絡を取りあい、観測が終わればまた2時間も話をするというように、二人で中毒になったように木星に魅せられていった。

1962年10月2日20時過ぎに城谷君から電話が入り、今木星面SEBnから南へ一本の暗柱が見えるという。それとばかりに庭に飛び出し高鳴る胸を押さえて取ったのがこのスケッチである(図)。(既に城谷君は9月27日に小規模な突起をスケッチしていることが後でわかった。国内最初の発見である。世界初観測は9月24日(米国)。まさに大規模に発達し始めた直後のスケッチということになる。口径10cm経緯台にOr5mm 145倍で見たこの木星像は、私にとって一生忘れることのない記念すべき1枚である。と同時に、早春の浅間山で若くして逝った城谷君との大切な思い出の観測でもある。

このSEB攪乱は比較的小規模でSEBはさほど濃化することはなかったが、2年後の1964年6月に再びSEB攪乱が発生した。(月惑星研究会会長)

1962年 SEB撹乱のスケッチ

1962年10月2日 20時24分(JST)
CM1=118.6° CM2=221.4°
10cm反射経緯台 145倍(ニコン・Or5mm)
シーイング:4/10、 透明度:4-3/5

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