村山定男先生が8月13日にお亡くなりになりました。先生の訃報に接し、いろい
ろなことが想い出され、大変寂しく思っています。
先生とお会いしたのは55年前に遡ります。先生は美しい火星・木星スケッチや論
文、著作を発表されていて、私達惑星観測を志す者にとって雲の上の憧れの存在
でした。
初めてお会いしたのは1958年火星接近の時、国立科学博物館の火星観望会で20cm
屈折望遠鏡の傍らで説明対応されていた30代半ばの村山先生、小山ひさ子先生の
はつらつとしたお姿を拝見した時でした。この時はお話をする余裕はありません
でしたが、後日意を決して先生の研究室に厚かましくも押し掛けて、この年の火
星スケッチを見て戴きました。この時以後、頻繁に上野詣が始まり、いつもお二
人に歓迎して戴いたことが強く印象に残っています。先生は天文ファン誰にでも
同じように笑顔で気さくに接して居られましたが、この魅力が先生を慕うファン
が多い理由でしょう。
ある時、火星観測の巨匠である村山先生、海老沢先生と一緒に20cm屈折で火星を
観測するという光栄に浴したこともありましたが、この時の貴重な経験が以後の
私の観測姿勢に多大な影響を与えたと思っております。
翌1959年に月面惑星研究会(現月惑星研究会)を設立した以降も、先生にお世話に
なりました。1975年の第二回木星会議開催の際は科学博物館の会議室を使う便宜
をはかって戴き、先生もご参加戴きました(図1)。その後も木星会議に度々ご出
席戴いたり、当会の40周年の記念パーティへのご参加など、一つ一つの行事に先
生のお姿、想い出が重なります。
先生のご恩に対しお返しは出来ませんでしたが、私だけではなく会員一同にとっ
て忘れることのない大きな財産を頂いたと思っております。長年のお礼を申しあ
げるのとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。 (2013年8月17日)
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[図1] 第二回木星会議(上野)で挨拶される村山先生(1975年) |
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