天文ガイド 惑星サロン2013年11月号 (No.134)堀川邦昭

木星観測のパイオニアとしての村山先生

私が天文に興味を持った当時から、テレビや雑誌で活躍されていた村山定男先生 が亡くなられました。同じ惑星観測者として大変残念に思っています。

村山先生は火星の観測者として有名ですが、実は木星観測でも大きな足跡を残し ています。日本の惑星観測は、火星偏重の時代が長く続き、木星は火星が観測で きない時の練習台という位置づけでした。村山先生は1940年代に木星の本格的な 連続観測を行って大きな成果をあげられましたが、当時の木星観測者は薦田一吉 氏、大沢俊彦氏(いずれも故人)など、大変わずかだったようです。

中でも大きな成果は、1949年の南赤道縞攪乱(SEB Disturbance)の観測でしょう。 攪乱の発生から発達の様子を詳細に観測して、アメリカの月惑星観測者協会 (ALPO)に報告を送られ、ニュージーランドのマッキントッシュらと並んで、第一 発見者のひとりに名を連ねています。当時の木星はやぎ座にあり、ヨーロッパで はほとんど観測されていませんので、村山先生の観測は現在でも大変貴重な資料 です。また、先生は観測だけでなく、過去の記録を掘り起こして、1910年代に起 こった北赤道縞(NEB)と南赤道縞(SEB)の活動の逆転などの研究も行っています。 1947年には東亜天文学会(OAA)の初代の木星課長に就任し、13年間に渡って後進 の指導に当たられました。

村山先生は国立科学博物館に勤務されていましたので、東京近隣を活動拠点とす る月惑星研究会とは縁が深く、木星会議にもしばしば足を運んでいただきました。 現在、日本における木星観測の発展は目を見張るものがありますが、村山先生は パイオニアとして、不朽の功績を残されています。

[図1] 村山定男先生による1949年のSEB攪乱のスケッチ
左) 1949年7月23日 攪乱発生初期の暗斑(矢印)。右) 1949年9月29日 攪乱が発達して、SEBに暗柱が多数見られる。誠文堂新光社、惑星ガイドブックより

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