私が天文に興味を持った当時から、テレビや雑誌で活躍されていた村山定男先生
が亡くなられました。同じ惑星観測者として大変残念に思っています。
村山先生は火星の観測者として有名ですが、実は木星観測でも大きな足跡を残し
ています。日本の惑星観測は、火星偏重の時代が長く続き、木星は火星が観測で
きない時の練習台という位置づけでした。村山先生は1940年代に木星の本格的な
連続観測を行って大きな成果をあげられましたが、当時の木星観測者は薦田一吉
氏、大沢俊彦氏(いずれも故人)など、大変わずかだったようです。
中でも大きな成果は、1949年の南赤道縞攪乱(SEB Disturbance)の観測でしょう。
攪乱の発生から発達の様子を詳細に観測して、アメリカの月惑星観測者協会
(ALPO)に報告を送られ、ニュージーランドのマッキントッシュらと並んで、第一
発見者のひとりに名を連ねています。当時の木星はやぎ座にあり、ヨーロッパで
はほとんど観測されていませんので、村山先生の観測は現在でも大変貴重な資料
です。また、先生は観測だけでなく、過去の記録を掘り起こして、1910年代に起
こった北赤道縞(NEB)と南赤道縞(SEB)の活動の逆転などの研究も行っています。
1947年には東亜天文学会(OAA)の初代の木星課長に就任し、13年間に渡って後進
の指導に当たられました。
村山先生は国立科学博物館に勤務されていましたので、東京近隣を活動拠点とす
る月惑星研究会とは縁が深く、木星会議にもしばしば足を運んでいただきました。
現在、日本における木星観測の発展は目を見張るものがありますが、村山先生は
パイオニアとして、不朽の功績を残されています。
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[図1] 村山定男先生による1949年のSEB攪乱のスケッチ |
左) 1949年7月23日 攪乱発生初期の暗斑(矢印)。右) 1949年9月29日 攪乱が発達して、SEBに暗柱が多数見られる。誠文堂新光社、惑星ガイドブックより |
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