「浦路ゆく心ほそさをなみまより いでてしらする有明の月」 これは、酒匂から鎌倉へ向かう浜道で阿仏尼が詠み「十六夜日記」(玉井幸助校訂、岩波文庫、1934年)に書いた和歌です。 鎌倉を目指して阿仏尼が京を発ったのは、弘安2年10月16日だと言われています。 その日のうちに近江の守山に着き、美濃の関ヶ原あたりを抜け、墨俣から木曽川を渡り、東海道を東へ向かいます。 早朝、薄明が始まるころには発つので、月が日々細くなるのを眺めながら旅が続きます。 鎌倉を目前にした相模の酒匂の宿を発つのが10月29日の夜明け前です。 酒匂の宿から鎌倉へ向かう浜道の東南方向は相模湾です。 遮るものはなく水平線の上、朝焼けの空に月齢28の細い月が姿を見せたことでしょう。 その情景を「明けはなるゝ海の上を、いとほそき月出でたり」(前掲書)と描いています。 鎌倉に着いた阿仏尼は極楽寺の近く、「月影ヶ谷(つきかげがやつ)」に住み最晩年を過ごしました。
さて、弘安2年10月29日は1279年12月4日(ユリウス暦)です。 グレゴリオ暦を遡及すると、1279年12月11日になります。 冬至の10日前で、日に日に寒さが厳しくなる時期です。 今年は11月28日が旧暦の10月29日です。 そこで、山岳展望のソフト、カシミール3DのV9.2.7を使い、阿仏尼が見たような明け方の情景を描いてみました。 水平線すれすれに、三浦半島の大楠山、その右手には上総から安房の山々がシルエットになって連なり、その南に細い月が現れます。
[図1] 旧暦10月29日(2016年11月28日)酒匂川河口付近からの眺め |
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