クロワッサンは"croissant"という綴りのフランス語で、三日月のことです。
“パン”の方は三日月の形をしているので、クロワッサンと呼ばれています。フ
ランス語で、夕方の三日月はプルミエ・クロワッサン(Premier croissant)、
「有明の月」の方はデルニエ・クロワッサン(Dernier croissant)と呼ばれます。
前置きが長くなりましたが、清少納言は有明の月が好きだったようです。枕草子
第235段、「月は有明の、東の山ぎはにほそくて出づるほど、いとあはれなり。」
(*1)と彼女は書いています。
有明の月は、季節により昇る方角が南東から北東まで大きく変わります。また、
月の傾きも変わります。そのため、季節によって印象が異なります。果たして清
少納言が見た月はどのような感じなのでしょうか? それでは、これから推理を
して見ましょう。
まず、彼女が有明の月をどこから見たのかを推測してみます。彼女は中宮定子に
仕え、定子の在所は第184段(*2)によると登花殿でした。後に定子は内裏から出
ていますが、清少納言が内裏から有明の月を見た可能性は多分にあります。
平安時代の内裏は、今の御所より西にあり(*3)、東には「大文字山」があります。
今の暦で4-5月、9-10月には、ほぼ真東から有明の月が昇るので、次のヒント
「東」から、季節は春か秋になります。
さて、春と秋では月の傾きが異なります。清少納言が「ほそくて出づる」と述べ
たのは春秋のどちらの月でしょうか?
そこで、山岳展望のソフト、カシミール3DのV8.8.1(*4)を使い、平安時代の内裏
の直ぐ東にある京都府庁から見た、大文字山から昇る月の様子を作成しました。
私は、左側、秋の「平らな有明の月」の方ではないかと思います。皆さんは、ど
ちらの月だと思われますか。
<参考文献>
*1、2 池田亀鑑/他 校注 「日本古典文学大系19 枕草子、紫式部日記」岩波書
店1958年9月 P217、P230
*3 京都市「フィールド・ミュージアム京都」
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/index.htmlから「内裏と里内裏」
の項
*4 カシミール http://www.kashmir3d.com/
[図1] 京都府庁から見る大文字山から昇る有明の月(拡大) |
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