「国文学の研究書」の頁めくると、京都での月の出没や南中の時刻が精密に計算
されていました!和泉式部日記には月が随所に登場するのですが、「月のあかき
夜」のように大雑把で日付も時刻も判りません。それでも、月の出没や南中の時
刻を計算すれば、日時が決まります。国文学者の吉田幸一氏はその計算をして、
他の記録から都の行事や天気を調べて日時を確定しています。
日記の序盤、手紙の交換に続き敦道親王が和泉式部を初めて訪ね、一夜をともに
する場面にも月が登場します。和泉式部の屋敷を訪ねた宮は、縁側に座ります。
「こちらもひどく緊張しながらお話しをします。そのうちに、月が昇って光が射
し込んできました。」と月の出が書かれています。頃合いを見計らって「月の光
がまぶしすぎる・・・・・。(中略)、ぜひあなたのいらっしゃる見御簾(ブライ
ンド)の内側に座らせてください。」(*2)と部屋に宮が上がります。これを吉田
氏は、4月18日(グレゴリオ暦で5月27日)と確定しています。20時から20時半ごろ
宮が式部の屋敷に着き、それから1時間から1時間半後の21時半ごろ月が出る18日
になるそうです。
日記は長保5年のことを書いています。グレゴリオ暦を遡及すると、この年の4月
1日が1003年5月10日になります(補足: 当時はユリウス暦なので、「The Sky」の
ような天文ソフトの日付は、1003年5月4日になります)。偶然ですが、2013年5月
10日も新月で、長保5年と同じです。
そこで、山岳展望のソフト、カシミール3DのV8.9.3を使い、式部が見た月の様子
を描きました。京都市役所の近くから南東を眺めています。
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[図1] 京都の河原町三条から見た月 2013年5月27日22時 |
カシミールD V8.9.3で作成、国土地理院発行の数値地図50mメッシュ(標高)を使用 |
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