1999年4月に入り,日本からの観測ができる地域はAmazonisuからTharsisへ,そしてさらにTempe方面へと遷り変わってきた。関西支部の面々による火星の観測も非常に活発となり,たくさんの画像が得られている。
4月に得られた画像の中で注目されることに,火星の赤道近辺にいくつもの雲が東西に並んでいたことが挙げられる。例として4月8日15:50の池村氏の画像(図1)がよくその特徴を捉えている。中央より東にある雲の塊は,この地域にあるNix Olympicaの上にかかった雲であるが,東西にわたって雲が並ぶ様子がよく捉えられている。
15日の池村氏の画像(15:44)にきわめてかすかながら,北緯+20°経度90°の地点に雲が認められた。また,4月16日根市氏の画像に雲が捉えられた。きわめてかすかな写り方だが,緯度は+20°N, 経度は80°位であった。ここで,雲が移動しているのではないかということに気がつき,追跡してみると4月11日の池村氏の画像から追跡できることがわかった。上に挙げた4月8日の画像にはそれらしき雲は見い出せなかった。
地球の大気の場合は,赤道直下では東から西に向かって流れている(台風の動きから顕著にわかる)。季節にもよるが,北半球では北緯15°近辺で転向点を迎え,そこから急にコリオリの力の影響を受け,反対方向に転じ,極の方向へ北東の方向に向かって進路を取るのが普通の様子である。 火星の大気は,火星本体の直径が小さいこともあり,大気の流れは極地方から極地方への大循環になっているといわれている。事実,北極冠の縮小と共に,火星の北半球の暗い模様が濃化することから,この様な流れが眼視的にも観測されている。したがって,火星の場合は上に述べたような大気の循環を考えることができない。 1973年に火星の全面を覆った,大黄雲はこの地域では東進していたが,今回の雲はこの時の雲と同じように東進している。過去の観測から考えると,上に述べた大循環を考慮して,南東方向に移動するのが一般的と考えられるが,今回の移動は緯度においてはほとんど変化がなく,経度減少方向に移動しただけのように思われる。このことから,自転にともなって起こる上空の偏西風に流された可能性が強く,この雲は火星の表面の砂嵐のようなものではなく,大気の上層にできた雲だったのではないかと考えられる。 |